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간증 인물

한국 既成キリスト教牧師の証- 2024.1.26 天心苑徹夜精誠 때

◑ 한국 既成キリスト教牧師の証
- 2024/1/26天心苑徹夜精誠において

最近、あるキリスト教の牧師が「真の父母様の啓示を受けてきました」言って、突然天正宮に訪ねてきました。その方の証を通しても、私たちが怖がること、恐れることはひとつもない事が分かります。

▶ 真のお母様に、まず栄光をお捧げいたします。私は皆さんを知らないくせに、皆さんを卑下していた人です。さらには、私がこの教会に対して知っていたことは何もありません。ここに来たこともないし、私が信じる神様が最高だと思っていましたし、私の通っている教会が正当で、私が通っている学校が正当だと考えていた。私が願う人生はいくらでも享受できた、そんな私です。そんな風に生きてきました。不足なことが何もなかったのです。妥協することも知らなかった人です。こんな頑固な人生を生きてきた私が、今日皆さんの前に立っております。

ある日、真の父母様が私に訪ねてきました。それも夜。寝ようとしたのですが、うっかり寝てしまいました。現れて何とおっしゃるかというと、「私が真の父母だ」と言うのです。次の日、また現れまして、「私がお前を選んだ」と言うのです。「選んだから行け」と言うのです。「私がどこに行くのですか、行きません」と言いました。そして、3日目の日もまた訪ねてこられて、その時私がすごく反抗しますと、その瞬間どんな現象が私に起こったかといいますと、全身一度も経験したことのない蕁麻疹(じんましん)が出てきて、痒くて掻いて、ヨブが床ずれができて河原で掻いたというその心情が、その日の夜私が経験した現実なのです。「もうやめてください。私が行きますから、やめてください。」その瞬間、本当に嘘のように蕁麻疹が消えたのです。

それで次の日、「真の父母様の啓示を受けて来ました」と書いたパネルを準備して、とにかく車に乗ってきました。一番高いところまで来てパネルを立てて座って待っていると、警備員の方たちが阻止するんですね。その時、ペチュンギ教会長が来られまして、「一緒に行こう」と言うのです。それでついていくと、イギソン苑長がいらっしゃった。

私が一番愛し尊敬していた方が私のお母さんとお父さんなのですが、初めて私がこの聖地を踏んでイギソン苑長にお会いした時、私のお父さんお母さんが投影されて入ってきました。その新鮮さがとても強かったです。事情を話すと最後まで聞いてくださり、その時受けた印象がとても感銘深かったです。続けて思い出すのです。それで、決定して。

私の妻も牧師です。私の家族みんな牧師出身、コンサ、執事。とにかくその村の大部分が皆キリスト教の信者です。ですから、私の話を聞いて皆ひっくり返ったのです、一言で言ったら。喧嘩もしました、実はですね。大声が行ったりきたりしたし、二言も言わずに諦めて行け!というんですね。離婚をして全てを整理して行きなさいと。実際、家庭は24年間一緒に生きてきたし、財産を手放すことはとても難しく大変な事なのです。多くの葛藤も経験したし。

しかしこの6か月間、どれだけ私が悩んだか。歯が全部抜けました、実際。歯が全部落ちてしまって。そして、決定的に決定を下しました。お母様を選ぶと愛が泣くし、愛を選んだらお母様が泣く。教会が追い求めていくのは、離婚ではなくその家庭を通して役事していく。そういう原理が統一教会の原理なのに、私が離婚したら受け入れてくれるかな、望んでくれるかな、そういう思いになりました。ところで、私の心はそれにも関わらず、決定を下さなければならないと考えました。私は苑長に電話をしました。「私が40日修練会に参加します」と。

 私がここにきて感じたことは、狂信者ではなく、信仰に対する情熱だけ見たのです。自発的に教育に参加するし、くださったみ言を考えて、教育を通してまた参加し。そういう姿を見てとても不思議で、外では見られなかったある脅威を味わいました。原理講論を通して学んで、またみ言を聞きながら純潔を通して家庭を作って。家庭を通してメシヤ的使命をもって成していくというこの驚く事実の前に、大変衝撃を受けたのです。そしてその日から私がどんな悔い改めをしたかというと、天心苑で一日に300回ずつ敬拝をしながら悔い改めをしています。
驚くべきみ声が聞こえてきました。

《私の背後でお前を守る主。》(歌を歌う)

振り返れば、また手を差し出して私を抱いてくださる真の父母様、天の父母様がいらっしゃるという事を感じることができました。

「お前がどのように生きてきたかが重要ではない」と言うのです。「しかし、どのように生きていくかが重要だ」と言うのです。またどういう話をしてくださるかと言うと、「私はお前が生きていく間、判断もしないだろうし、浄罪もしないだろうし、審判もしない」とおっしゃるのです。そうしながら、細かい声で「一度生まれたことは、決められたことは死んだ後に必ず審判がある」とみ言をくださいました。どれだけ怖く緊張しますか。

それで、こういったことを体験しながら、私が今からどのように行くべきか決まった。決まった道がまさに、食口の皆さんが行こうとする、信じる信仰を私は信じていきたいです。食口の皆さんが愛するその愛を私も愛したいです。食口の皆さんが探そうとするその本郷に私も行きたいです。ここではまだ不足ですが、一生懸命学んで、生きて愛して学びながら、今から天の父母様、真のお母様のみ旨を広く伝えていくそのような人生を生きていきたいです。

私を許してくださいますか。もう一度。私を許してくれますね。もう一度。私を許してくださいますね。ありがとうございます。